イスラム文化と中国文化の融合によって生まれたお寺
寺名を確認すると「清真寺」とある。あれ?「清真大寺」じゃないぞ?!入口がこんな路地の奥だなんて聞いてないぞ!地図で確認しながら歩いていくといかにも、イスラム街らしい露店が。やっと入り口を見つけて中に入るとあれ?「清真大寺」じゃない!「清真寺」になっている?!じゃあ、さっきの路地の奥の寺院は何?実は、イスラム教は清真教とも呼ばれていたので、モスクを清真寺、金曜モスクを清真大寺と呼ぶとのこと。境内全体は高い壁で囲まれ、四つの部分(進院)に分かれている。これは第一進院の、17世紀初頭に建てられた木牌坊。扁額の「勅賜禮拝寺」が、イスラム寺院でありながら格式の高さを表している。ここが第2進院への門二門で五間楼とも言われている。第二進院にはこのような石牌坊もある。碑亭にはイスラム暦の計算法がアラビア語で記されている月碑がある。その先には第三進院への入り口である三道門がある。別名、勅賜殿ともよばれている。第三進院の中央には省心楼と呼ばれている八角形の建物がある。どうやらミナレット(光塔)の役割を果たしているらしい。そしてこれが第四進院への入り口四道門。第四進院の一番手前には鳳凰亭がある。翼を広げた鳳凰の形からか。そして一番奥には1000人以上の信者を収容できる礼拝大殿がある。扁額の文字もアラビア文字。しかし、奥の古い扁額は漢字で書かれている。清真大寺は偶像崇拝を禁じているイスラム寺院なので、当然のことながら講堂の中にも壁のレリーフにも一切の偶像が排除されており、何処にも見つけることは出来ない。植物やら単なる図案としてのレリーフのみ・・・と、思っていたらあれ?あちこちに龍が。龍は想像上の動物だから良いのか?!龍は皇帝のシンボルだから、歴代皇帝に敬意を表してなのだろうか。というより、弾圧の口実を与えない為の妥協の産物のような気が・・・。などと考えながら清真大寺を後にした。
清真大寺の楽しみ方
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